金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


イライザの世界〜言語学者からの不思議なメール

The World According to Eliza

―人間って何?―

 これからのお話はイライザという女の子に来たメールを中心として言葉について考えるためのものである。

 そのメールはどうやら『ソフィーの世界』を模倣したイタズラらしいのだが、中学生として少し言葉に興味をもってきたイライザには新鮮な話が書いてあったので、つきあうことにした。 


 ある日、イギリスのロンドンに住んでいるイライザの許(もと)に奇妙な電子メールが届いた。

 イライザの家はお父さんがコンピューター技師で、お母さんがジャーナリストで家にはパソコンがあった。イライザ自身はあまり使ったことがないのだけれど、自分のアドレスを持っていて、ときどき、引っ越していった友達とメールをやりとりしていた。

 でも、今回はanonymous@sohia.ac.ukとだけあって知らない人だった。

 電子メールには次のように書いてあった。

あなたはだれ? 

 まるで『ソフィーの世界』のソフィーになったようでびっくりしました。というのもこの本を少し前に読んだばかりだったからです。でも、少し難しかったので、この電子メールに答えるのはちょっとばかり躊躇した。 

私はイライザ。本当はエリザベスなのだけれどニックネームでみんなイライザというわ。でも、女中さんみたいだなんて誰かが言って以来、少し気にかかっているの。あとはメイフェア中学の生徒でクラブはテニス部でキャプテン。

それから〜、住所は〜、でも、こんなにキリがないわ。

何よりも私は女の子よ。もっというと人間だわ。

 イライザはそんな風に思いました。そして見知らぬ相手に電子メールを送りました。少し不安でした。だって、相手の人柄も住所も分からなかったのですから…。

 そのうち、2通目がやってきました。

人間って何?

本当にあなたは人間?

どうして人間だと分かるの?

 何で当たり前のことを聞くの?とイライザは思いました。

生物の時間で私たちはホモ・サピエンス(homo sapiens)という種だと教わったし、チンパンジーとは体も何も違うわ。

チンパンジーより毛が少ないことも言おうとしたのですが、最近、少し毛深くなってきて悩んでいるイライザでした。

 無視してもよかったのですが、イライザは言語学者をしているというおじさんの家に行きました。おじさんといっても血がつながっている訳じゃなくてときどき友達どうしで遊びに行くような人だった。おじさんはビター・スィートとあだ名されている人で、あんまり人間が好きじゃないみたいだし、結婚もしてないのだけど、物知りってことだけは確かだった。おじさんの家にはいっぱい本が置いてあって、『世界なぞなぞ事典』とか『シンボル・イメージ事典』『ロンゴロンゴ板大事典』とかいう本がゴロンゴロンと置いてあって、机の上には『英和中辞典』といって英語と日本語と中国語が載っている便利そうな辞書がおいてありました。

思い切って前から思っていた質問をしました。

「おじさん、これ、全部、本、読んだの?」

 おじさんは笑って答えました。

「本にはね、読む本と調べる本があるのさ。ここにはいっぱい辞書があって、これは読むための本じゃなくて調べるための本さ」

と言いました。

「ところで、おじさんは言語学者だよね。だったら言葉のことは何でも知っているの?」

「そんな訳ないよ。だって、世界は言葉で埋め尽くされていてそれを知るなんて、全知全能の神でも無理さ。だって、クォークという言葉は知っていて、それがジェイムズ・ジョイスの小説から来ていることは知っていても、どんなものかは僕はまるで知らないし、科学者だって、実際にはよく分かってないんだろ」

「なあんだ」

「なあんだ、じゃないよ。言葉の上で知っているだけで、それもエスキモーの言葉なんてちっとも分からないよ。いつか話すけど世界に6500もある言語を全部知ろうなんてとてもできなってことだよ」

「ふ〜ん、そんなにあるの」

「だから、言語学者っていっても一部のことしか話せないんだよ。あの『ナルニア国ものがたり』を書いた人って知ってる?」

「トルキーンじゃなくて、ええと、C・S・ルイスね」

「トルキーンも言語学者だけどね。ルイスは7か国語で楽しく読書ができたっていわれてる。ポリグロットじゃなくて(多言語使用者)じゃなくて、フィログロット(愛言家)っていわれている。そのルイスがケンブリッジで教えた後、Studies in Words(言葉の研究)っていう本を出している。その冒頭で『これは高度な言語学のエッセーではありません。言語の究極の性質や意味の理論などというものは私のここでの関心ではありません』と書いているんだよ。まあ、彼のような気持ちで言語学について話すことはできるかも知れないがね」

 そこへ小さな白い猫がやってきました。

「この猫、何て名前?」

「ドッグっていう名前さ。小さいときに拾って、キャットフードがなくてドッグフードばかり食べていたからそんな名前にしたのさ。映画の『ティファニーで朝食を』ではキャットという猫が出てくるね。まあ、あんな感じかな」

「ふーん、面白い名前ね。でも、いくら何でも犬って感じじゃないよ」

「うん、言葉と実体というのかモノそのものは一緒じゃないことが多いね。だからそれでもいいと思っているよ。」

「でも、いくら何でも可哀想よ。チョンとして可愛いからチョンスケっていうのはどう?」

「チョンスケ?言語学者のチョムスキーみたいだね。まあ、いいか。僕はT・S・エリオットみたいに猫の名前にはこだわらない方なのでね」

「ああ、『キャッツ』のことね。ところで、おじさん、今日、すごく真面目な質問でやってきたの。ねえ、ところで、人間って何?」

 といきなり手紙の内容にぐさりと入りました。

「珍しいね。そんなことに興味を持つなんて。ははん、『ソフィーの世界』でも大方読んだんだろう」

「ピンポーン!でもね、実は同じような電子メールがきたの」

 といろいろと今まであったことを説明をしました。

「ホモ・サピエンスっていうのが人間のことでしょう。だって、学校で『賢い人』っていう意味だって習ったよ」

「でも、本当に人間が賢いと思うかね。だって、原爆や水爆など地球を何度も破壊できる兵器を作ったり、地球の汚染は今、すごいものだ。人類だけでなく、動物が全滅するかもしれない。それなのに賢いっていえるかね」

「それじゃ、『戦争をする人』っていうのは?」

「人間だけが戦争をするから一面は真理だろうけれど、君も僕も戦争は嫌いだろうし、みんなが好きな訳じゃないよ」

「そうね。じゃあ、ホモ・ハビリス(homo habilis)っていうのはどう?確か、『道具を使う器用な人』っていう意味って聞いたよ」

「それって原人の一種だよ。元はカーライルが『ホモ・ファベル』(homo faber)、つまり『道具を使う動物である』と言んだけれど、無理があるなぁ。イギリスの女性研究者のグドールは1960年、野生チンパンジーがアリ塚に小枝を差し込んでシロアリを釣り上げているのを見つけ、人間だけが道具を使うっていう常識を覆したんだよ。鳥だって巣みたいな道具をいっぱい作っているし、道具を使って牛乳を飲む鳥もいるんだよ」

「じゃあ、道具を作る人っていうのはどう?」

「うん、フランクリンの定義なんだけれど、それはメタ定義ともいうべきものでキリがないもんなんだよ。例えば、『道具を作るための道具を作る人』とか『人間とは人間とは何か考える人だ』とかって定義の定義という感じだよ」

「他には?」

「カッシラーという哲学者は『人間はシンボルを操るものだ』で『ホモ・シンボリクム』(象徴的人間homo symbolicum)といったよ。でも、ミツバチなんかでも記号をうまく使ってコミュニケーションしているからね」

「『文化を持った人』っていうのは?」

「チンパンジーが文化を持っていることはよく知られているよ。日本の幸島(こうじま)の猿だって、若い猿が海水で芋を洗い始め、他のメス猿が真似て、みんな洗うようになった。これは文化が伝播(でんぱ)することも分かっている。家族も特にピグミーチンパンジーなど人間の萌芽的なものをもっているよ」

「動物は火が使えない!『ジャングルブック』も火の秘密を知ろうとするサルとの話だったわ」

「ところが、これも訓練でね。タバコを吸うチンパンジーもいるからね。そうそう、日本の犬山のモンキーセンターではサルのためのたき火が行われるんだ。最初、1959年の伊勢湾台風で出た倒木を園内で燃やしたところ、サルが少しずつ集まってきたんだ。一般的にサルは火を恐れるだけど、屋久島に生息するヤクニホンザルだけは平気で人間がマキを燃やし始めると、近くに座り込んで気持ちよさそうにくつろぎ、たき火で焼いたサツマイモもほおばるんだ」

「他には?」

「ホモ・エドゥカンドゥス(homo educandus)というのをイワン・イリイチが『生きる思想』で言っていて、これって『教育すべき人』ということで、逆にホモ・ホモ・ディスケンス(homo discens)って『自ら学ぶ人』という人もいるし、ホモ・エコノミクスというと『合理的な経済活動をする人』ということで、こんな人が実際にはいないから経済って面白いんだけどね」

「ホモ・ルーデンス(homo ludens)、遊ぶ人っていうのも習ったよ」

「うん、それはオランダのホイジンガって人の説で、確かに面白いんだけど別に人間と動物を区別しようとしている訳じゃなくて、人間存在の本質に遊びがあるって言っている本だよ。他にもアリストテレスは『人間とは社会的動物である』と言ったし、パスカルは『人間は考える葦』だと言ったし、ベルグソンは『人間とは笑う唯一の動物である』とも言ったし、いろいろだよ」

「『動物は好き?』『ええ』『どんなところが?』『……笑わないところかな』」

「『風の歌を聴け』だね」。

「そうすると、チンパンジーと人間て区別出来ないの?そういえば言葉を忘れていたわ。きっと言葉が大きな違いよ。ボルヘスって人の『幻獣辞典』には“大昔、南アフリカのブッシュマンにホチガンという男がいて、動物を憎んでいた。動物は当時、話す能力を授けられていたのだった。ある日、この男は動物たちの特別な天恵を盗み、姿を消してしまった。それ以来、動物は二度と口をきかなくなった”なんて書いてあった」。

「そうなんだよね。チンパンジーと人間のDNAを調べると数パーセントも違ってないことが分かってるからね。言葉を持っているのが人間だということになると話は簡単だね。でも、よく調べていくとチンパンジーだって言葉をもっているし、クジラやイルカだって言葉を持っているようだね。僕はクジラの集団を見たことがあるのだけれど、一斉に潜ってしまって、5分以上の上がってこない。そして誰かが上がったらみんな海の上に姿を現しているのにびっくりしたよ。あれは誰かが合図しているとしか思えなかったなぁ」【その後の調査で遺伝情報では人とチンパンジーの違いは1・44%だったが、重要な遺伝子(遺伝情報のうち生命活動を担うたんぱく質を作り出す大事な情報を持っているのが遺伝子)では10%前後という予想を大きく上回る83・1%にも違いがあることが分かった】。

「じゃあ、やっぱり言葉だね」

「イルカの話は知ってるわ。でも、人間とは違うんでしょう」

「はっきりとは分かっていないのさ。チンパンジーに人間の言葉を教える話は知ってるかなぁ。昔、赤ちゃんの頃から一生懸命育てだ人がいて、言葉を教えたんだけれど喋ることができたのは「ママ、パパ、カップ」だけで実際にビデオを見てみると発音しているとはちょっと言えなかったよ。どうしてかって言うと、人間の赤ちゃんがミルクを飲みながら呼吸できるように動物は気管支が“「”のように曲がってなくて長音というか、音をちゃんと出せないんだよ」

「難しいものなのね」

「ただ、簡単には言えなくて、例えばヤーキース研究所のスーパーチンパンジー・カンジは英語の聞き取りが上手で、子どもだって苦労する使役動詞(〜)を聞いても混乱しないし、『向こうの部屋の冷蔵庫からリンゴを取ってきて』というと取ってくるしね。日本人なら聞き取れないくらいの早口でも大丈夫なんだ」

「言葉を使えるってことね。でも、チンパンジーどうしで会話をするまでにはなっていないんでしょ」

「そうだね、これからだね。そうそう、ホモ・メンティエンス(homo mentiens)という人もいる。外山滋比古という日本の英文学者だけどね。『虚言人』ということで、ウソをつくから人になったという」

「確かにおじさんもウソをよくつくね」

「ウソっていうのは言語があるからつけるのであって、自然しかない動物には擬態以外のウソはつけないからね。ただ、言葉を教わったゴリラのココだってウソをつくことが知られているし、人間みんながウソをつく訳じゃないからね」

「そう、私はウソをついたことはない」

「というのが、真っ赤なウソだったりするから面白いね。小田亮の『約束するサル』(柏書房)というのもある。つまり、ヒトは約束が必要なサルで、人間は集団を作って社会を持つ。人間ほどの大きな複雑な社会では血縁にない多くのヒトが集まって利益をやり取りしなければならない。だから、互いに契約を交わす必要がある、ということだよ」

「でも、おじさんはよく約束を破るから、その説は違うと思うわ」

「かなり説得力がある話だよ。言葉に関しては小説でもちろん、話せるようになってサルの話はあるけどね。例えば、アルゼンチンの詩人レオポルド・ルゴーネス(Leopoldo Lugones)に「イスール」(Yzur『奇妙な力』1906年)というのがあってここでは話せるようになるサルが出てくる。

 私は倒産に追い込まれたサーカスの競売でそのサルを買った。 

 これからお話しする実験をやってみようと思い立ったのは、ジャワの原住民たちが、サルがことばをしゃべらないのは、その能力がないからではなく、しゃべるまいと自らに禁じているからだといっているのをなにかで読んだ、ある午後のことであった。
《サルが話さないのは、働かれるのがいやだからだ》というのである。

 初めは軽く受け止めていたのだが、そのうち私も同じような考えに取り憑かれてしまい、とうとうそれがつぎのような人類学的仮説にまで膨らんでしまった。

 サルとは何らかの理由で話すことをやめてしまったヒトである。そのことが発声器官と言語中枢の退化をもたらし、サルたちの相互関係を極端に弱め、彼らのことばを諒解不能な単なる叫び声に変えてしまい、かくしてこの原始人は動物へと身を落としてしまったのである。【…】

 「私」はイスールを叱咤激励しているうちにイスールはだんだんと衰弱していった。死の瞬間に、しかし、次のような言葉を発したのであった。
 ---AMO,AGUA, AMO,MI AMO....(ご主人さま、水を、ご主人さま、私のご主人)

「何だか可哀想な話ね。簡単にいえば、言葉の音を出せるのが人間で、そうじゃないのがチンパンジーって訳ね」

「そうもいかないんだ。だって、言葉っていうのは音が出る言葉だけじゃないよ。僕らだって色々な記号を使っているし、コミュニケーションというのは言葉だけじゃないね。アメリカではアメスラングといって手話を教えてチンパンジーが喋っているし、日本でもアイというチンパンジーが形を組み合わせて言葉を話している。だから、言葉は人間と動物を分ける決定的な証拠ではないんだよ」

「そういえば、ゴリラのココの話で聞いたことがある」

「そう、パターソン博士とココの話は有名だもんね。『ココ、お話しよう』(どうぶつ社)という本があるよ。ココって“Hanabi-ko”というのが本名は日本語から来ているんだよ。特にココに絵本を読んでいたらそこに出てくる猫が欲しい、といってぬいぐるみじゃダメで、本物の猫を欲しがった話は教科書にも載っているよ」

「そう、オールボール(All Ball)という名前の猫を大事にするんだけれど、交通事故で死んじゃってココはものすごく悲しんだという話だね。人間と変わらぬ感情があるってことだね」

「じゃあ、やっぱり人間やゴリラ、チンパンジーには違いはない?困るよ」

「その前に言っておかなければならないけれど、ココの研究も含めて、ただ単にごほうびほしさに手を振り回しているだけじゃないかという批判もあることはあるんだ。リンデンの『悲劇のチンパンジー』(どうぶつ社)では手話を覚えることで幸せになったチンパンジーはいないと書いてある。実験も曖昧だし。記録を残すためにできたのは色も形も違うプラスチックでコミュニケートする方法で、『チンパンジー読み書きを習う』(思索社)のプリマックらがやったもので、二本では松沢哲郎がアイを使った実験をしているね。しれで、人間と違って困ることもないと思うけど…。ホモ・エレクトスというのもいるけれどこれはエレクトするホモじゃなくて、『直立猿人』という意味なんだ。例えば、日本の今西錦司という人は『立つべきして立った』なんていっていて人間は『2本足で歩行するサル』という定義を出したよ。でも、この議論は古くて、プラトンが人間を二本足の(裸の)動物と定義して、というのもソクラテスも定義が大好きだったからなんだけど、好評だったのを皮肉って、ディオゲネスはプラトンの教室の窓から、死んだ鶏の毛をむしって、『これがプラトンの言う人間だ』なんて投げつけたこともあったんだよ」【ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』のエピソード】。

「ディオゲネスって昼間にカンテラを提げて『人間はどこにいる、人間はどこだ』って探し回ったって人ね」

「そうだよ。そこで、プラトンは『丸い爪を持っていること』という条件を追加したんだよ。するとディオゲネス自身は『人間とは、もっとも利口な動物であるが、また、もっとも愚かな動物である』と言ったんだ。これでプラトンは反論できなくなったというんだ」

「確かに、丸い爪が人間の本質だったら変よね」

「まあ、人間って何だなんていう人は普通、いないからね。別役実は『当世・商売往来』でこんな風に書いているね」

 街角に立って「あなたは何ですか」と質問した場合、「私は哺乳類です」と答える人間はいない。多くは、「サラリーマンです」「商人です」「百姓です」と、その職業を言うのである。つまりここへきて我々は、生物の一種である自覚を失い、職業人の一種であるとの自覚のみで、生き始めたのである。

「そうよね、私も学生という商売でなかったら、何者か説明するのは難しいわ」

「いずれにしろ、2本足で立ったことによって脳が発達したということはいえるのだけれど、カンガルーとかプレーリードッグなんてどうして人間のような知性を持たなかったのか不思議だね」

「そういえば、リスなんかも直立していることが多いよ」

「そうだねぇ。オサム・テヅカの漫画に『0(ゼロ)マン』というリスが進化して別の文化を作っているというのがあるよ。リーキーという主人公でね」

「リーキーって、ルーシーを発見した人類学者もリーキーじゃなかったかしら?」

「ちょっと違うね。ドナルド・ジョハンソンなんだけどね。でもリーキー博士のことをよく知ってるね。ルーシーっていう名前はビートルズのLucy in the Sky with Diamondsを聞いていたときに発見されたからだよ。ところで、人類が何で立ったか、という問いに対して一番きれいな説はサルが森林の中で育っていたのに森林が後退していって残されたサルがヒトになったという説で、ヒトは昔を懐かしんで高い所から見たいために立ったという話さ。ついでにいえば、草原はライオンやチーターが走り回る危険な場所だったので、生存の危険にさらされたサルたちは武器を持って対抗した。そのためには手が自由に使えなくてはいけない。二足歩行が必要になったという説があるよ」

「類人猿は別にして、人類の祖先はどうなの?」

「エイチソンという人の『ことばの始まりと進化の謎を解く』新曜社では次のような進化の仮説を立てている」

20万年ほど前

10万年ほど前

4〜7万年ほど前

現在

言語の前駆体

→穏やかな進化→

原始的な言語体系

→急激な進化→

高度な言語体系

→穏やかな精緻化→

ヒトの言語

新人の出現

「これも仮説なんでしょ」

「そうだよ。日本の三浦雅士によると、ネアンデルタール人とクロマニヨン人を隔てる決定的な違いは、クロマニヨン人は“何かと何かを交換する”ことが好きで好きでたまらなかったという点にある、ということだよ。ネアンデルタール人の行動半径は、その使用器具の原材料の入手源から見て約50キロ。これに対して、クロマニヨン人になると、彼らが使っていた道具の材料のとれる場所は一気に数百キロにまで増大することになる。別にクロマニヨン人がネアンデルタール人の十倍走り回ったからではないんだ。交易というものをしたからなんだ。装身具用の貝殻とか珊瑚とかいうものは海岸地帯から千キロ近く離れた内陸部でも発見されている。三浦はこんな風にもいっているよ。

人間は必要に応じて物を交換すると普通は思われている。だが、ネアンデルタール人からクロマニヨン人への決定的な飛躍は、むしろ逆に、交換が欲望を生み、必要を生んだことを教えている。---『考える身体』

「なるほどね、お金も言葉も交換ね。お嫁さんだって交換だね。人類学者の本で『裸のサル』というのも聞いたことがあるよ」

「それはモリスという学者の定義なんだ。でも、人間は文化というパンツをはいていて決して裸じゃないんだ。だって、髪の毛をきれいにしているし、爪の切っているし、歯も矯正しているし…。ただ、人間の言葉と決定的に違う部分もあるよ。というのはね。チンパンジーは『あ〜』とか『ぎゃー』という音を出して『面白いぞ』とか『危険だぞ』とか言えても、『あ〜、ぎゃー』で『赤い色』なんて意味を持たせることはできないんだよ。これをマルチネって言語学者は“二重分節”って言ったんだ」

「ふ〜ん、つまり、言葉の音を組み合わせて作るってことね」

「そう、それができるからこそ、何万語ともいう言葉を使っていろいろなことを話せるんだよ。だって、一つの音が一つの意味を表すとしたら英語だとせいぜい30くらいしかのことをいえないよ。ラッセルが言っているけど『いかに私の犬が知的であろうとも、自分の父は貧しかったが、誠実だった、ということは決してできないだろう』ってことさ」

「日本のコーボー・アベという作家の『第四間氷期』というのを読んだことがあるわ。最後にモールス信号でコミュニケーションしあうんだけど、あれはどうなのかしら?」

「恐らく無理だろうね。モールスというのは文字がその先にあって、初めて使える物だからね。これに関してはいつか余剰性の話をしようと思ってるよ」

「難しい話はいいわ。でも、少し色々なことが分かってきたわ。言葉は決定的ではないけれど、動物と人間を隔てる重要な要素ということね。じゃ、言葉を調べれば人間って何か分かるのね」

「そうだよ。ヒトは脳を発達させたといっても大脳皮質、特に前頭前野を発達させたのだけど、ヒトが集団生活を始め社会を構築したからだと考えられています。ヒトは集団生活で互いにコミュニケートし、人々のそれぞれの立場や気持ちを理解して集団の結束を維持してきた。この継続がヒトの前頭前野の急速な発達を促したという人がいます」

「でも、それで人間は何を得たの?原爆?インターネット?」

「人間っていうのは本能をなくした動物なんだよ。どうして本能をなくしたかっていうと、言葉を獲得したために本能をなくしたんだよ。人間は野生動物よりむしろ家畜に近く、自己家畜化が進んでいるともいえるよ。国際高等研究所の研究をまとめた『人類の自己家畜化と現代』(人文書院)にそう書いてあったよ。現代人は快適さを追求するあまり、わずかな不快にも耐えられないほど精神的に虚弱化したともね」

「本能って?」

「本能の定義は難しいけれど、簡単にいうと動物が音声言語なしでもコミュニケーションできたり、多くのものを認識できたりする能力だよ」

「どうして?」

「だから、言葉によって人間は想像的構築力(imaginative construction)というのを得て、今日は曇だ、雨が降るかもしれない、傘を持っていこう、などと推論できるようになったのさ。そして、最初に想像的構築力を使って作ったのが料理だというのが僕の考えさ」

「ふーん、あんまり料理する動物って聞かないよね」

「そうだろう。こうすればおいしいものができるって想像を働かせて、それに合わせて料理法を開発したんだよ。それに料理というのは見知らぬ人があった時に一番通じやすいもので、ものすごいコミュニケーションの手段だからね。料理は無言の会話で、相手が受け取ってくれてこそ成り立つものだからね」

「でも、言葉が不自由な人が料理できないってことはなさそうだけど…。逆に賢い女は料理がうまい、って話もあるわね。私は得意な方よ。今度、おじさんに作ってあげる」

「ありがとう、毎日、カップヌードルじゃ嫌だからね」

「どうしておじさんは言葉の専門家なのに結婚できないかって分かってきたわ。」

「まあ、僕の話を聞いていればどうして周りに言葉があふれていて、通じたり通じなかったりするのか、不思議なことが分かってくるはずだよ」

「おじさんも言葉の表面だけ飾って気持ちを伝えるのが下手だからお嫁さんが来ないんじゃないの」

「余計なお世話だ!」

「料理に関して一言いえば、長谷川眞理子さんは『科学の目 科学のこころ』(岩波新書)で次のように書いているよ

 言語学の創始者の一人であるジョン・ホーン・トゥークは「言語は、酒の醸造やパン焼きと同様の、一つの技術である」といったそうだ。それに対してダーウィンは、「言語もそれらの技術と同様に、学ばねばならないのは事実だが、言語がそれらの技術と本質的に異なる点が一つある。それは、どんな小さい子どもをみてもわかるようにヒトには言語を話そうという本能的な衝動があるが、どんな子どもも酒を醸造したりパンを焼いたりしようとする本能的衝動はもっていない、ということである」と延べている。

 つまり、他のものをつくるのとは根本的に違うということなんだ」

「話がよく分かったんだけど、つまり、人間っていうのは言葉をもつことによって高等になれた動物なのね」

「もちろん、そうだけど、そんなに簡単じゃない。ただ、言葉がなければ否定はできないということはすごく大切だと思うよ」

「動物は否定できないの」

「ここにあったものがなくなった、というのを伝えるのは難しいし、絵にも描きにくいしね。ロラン・バルトは『否定表現とは、否定したいそのものをいったん肯定する表現のことだ』と言っているけど、ない、というのは難しいんだよ」

「ふーん」

「エスキモーの魔法のことばというのがあるよ。エスキモーというのは今はイヌイットというけどね。

「魔法のことば」

ずっと、ずっと大昔
人と動物がともにこの世にすんでいたとき
なりたいと思えば人が動物になれたし
動物が人にもなれた。
だから時には人だったり、
時には動物だったり、
互いに区別はなかったのだ。
そしてみんなが同じことばをしゃべっていた。
その時ことばは、みな魔法のことばで、
人の頭は、不思議な力を持っていた
ぐうぜん口をついて出たことばが
不思議な結果をおこすことがあった。
ことばは急に生命(いのち)をもちだし
人が望んだことがほんとにおこった―――
したいことを、ただ口に出して言えばよかった。
なぜそんなことができたのか
だれにも説明できなかった。
世界はただ、そういうふうになっていたのだ。    


(金関寿夫訳『魔法のことば―エスキモーに伝わる詩』福音館書店)

今になっても、人間と動物との区別は簡単じゃないからね」

「どういうこと?」

「ゴリラはジョークを理解するし、チンパンジーは時間の感覚や記憶する能力を持っているからだよ」

「ええっ、記憶って言葉があるからできるのじゃないの?」

「そうじゃないイメージによる記憶もあるからね。何よりも“人格”さえ認められるってことだよ」

「“猿格”じゃないの?」

「そういうはぐらかし方はよくないよ。そうじゃなくて、類人猿の権利を認めようという議論が最近なされているんだよ。つまり、僕らは黒人を差別していたように、DNAもほとんど変わらない類人猿を差別していたかもしれないってことだよ。詳しくはパオラ・カヴァリエリ&ピーター・シンガー編『大型類人猿の権利宣言』(昭和堂“The great ape project”)なんて本があるから読んでほしいけれどね」

「せっかく、人間と他の動物との違いを考えたのに、また振り出しに戻るの?」

「そうじゃなくて、違いをしっかりわきまえて、更に、類似もしっかり知らなきゃダメだってことだよ」

「答えが出ないのはつまらなーい」

「古代ギリシャ人は『人間は答えのない問いかけをする動物』と考えていたようだよ、だから、問いかけを続けることが大切なんだよ。今ここにいる人間を見つめていかないとダメなんだよ」

「人間を見つめるために言語学はあるの?」

「究極的にはそうなんだけど、それは哲学の問題でもあるよ。ミシェル・フーコーっていうフランスの哲学者は“人間は死んだ”といったけれど、それは“人間”っていうものを根元的に考えているからだよ」

「どういうこと?」

「同じフランスの哲学者のサルトルなんかは最初から人間が肯定的な存在で、真理を世界に出現させる存在だみたいに書いているけれど、それは人間の思い上がりかもしれないんだよ。実際、人間がやっていることは愚かなことばかりで、真理じゃなくて、虚偽や誤りを出現させてきたものだともいえるね。だから、フーコーは“人間”というものは18世紀末からできた概念で、16世紀からそれまで“神”や“世界”“事物の類似”ばかりが問題にされたと言っているよ」

「何だか難しい話ね。そういえば、ソニーの1987年のウォークマンのCMに『音が進化した、人間はどうですか』っていうのがあったけど、人間って進化してないかもしれないね」

「ホント、その通りだよ。自分が滅びるくらいの技術を持つというのが進化かどうか分からないね。まあ、この話はこれくらいでいいと思うけれど、“愛”とか“善”なんて言葉もとりあえず疑ってみる価値はあるってことかなぁ」

「つまり、そういうのは言葉が作り上げたものだというの?」

「そうだね、言葉が“構築”したものだといってもいいだろうね」

「“構築”って難しい言葉ね」

「簡単にいうと、言葉からなかなか人間は逃れられないってことだよ」

「愛を疑っているばかりじゃ結婚できないよね」

「本当によけいなお世話だね!そういえば、マーク・トウェインは『飢えている犬を拾って充分なエサを与えれば犬は決して噛みつかない。このことが犬と人間の決定的な違いだ』ともいっているよ」

「なるほどね、『トム・ソーヤーの冒険』の作者らしいわ。そういえば、ホモ・デメンスというのも聞いたことがある!」

「そうそう、『狂った人間』という意味だよ。今までは人間が理性的であり、合理主義の思想に基づいていると考えたけれど、ホモ・デメンスというのは理性に全面的に依存するのではなく、非理性的なもの、不合理なもの、更には狂気的なものを持っているのが人間だ。それによって、理性の枠には収まらない、新しいものを創造していく人間が考えられている」

「ニーチェは人間は赤い顔をした動物である、と『ツァラトゥストラかく語りき』の中で書いているそうよ。なぜ赤い顔になったのか。あまりにもしばしば自分を恥じねばならなかったからである、ってね」

「確かに、いいかげん、恥を知らないとねぇ」

「ごめん。ちゃんと聞くけど、言葉って何なの?ちゃんと教えて!」

「谷川俊太郎たちが作った『にほんご』という教科書に次のような詩が載ってるよ」

 おはよう・こんにちは

 わたしかずこ
 
 ないたり ほえたり さえずったり
 こえをだす いきものは
 たくさんいるね
 けれど ことばを
 はなすことの できるのは、
 ひとだけだ。

「ほんとうにそうですね」

「じゃ、これから何度か、うちに来なさい。そうすれば、簡単なお話はしてあげる。だけど、考えるのは君だし、自分で本を読んだり、調べたりしなければならないよ」

「は〜い」

 といっておじさんのところでイライザの大好きな、おいしいチョコレートをもらって帰りました。

【to be continued】

●難しい言語って何語?



※僕が書くよりももっといい書き手がいるはずなのだが、忙しいだろうし、僕の所に同じような質問もくるので、いっそ入門を書こうと思ったのが、この連作である。このまま続けていくつもりなので、要望とか質問があれば、できれば答えていきたい。中学生でも読めるように書く予定である。

 これ以上の詳しいことは別のサイトがあるだろうし、書店に行って入門書を買ってもらいたい。参考書が何がいいか、という質問は子供たちからは受けるが、大人からは受けない。大学生は絶対に受け付けない。

 英語表題をEliza's Worldではなく、The World According to Elizaとしたのには訳がある。暇な人は考えてみてください。

※評判がよければ続けます。メール下さい。


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