金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


「21世紀にのこしたい ふるさと日本のことば」(北陸編)


 「名古屋発ネットワークにっぽん」担当の上原アナウンサーからいきなり電話がかかって、ラジオに全国放送に出てくれといわれた。僕の場合、「お笑い系」というのは分かるのだが、どんな内容か尋ねたら「方言」、しかも中部の方言と県民性について話してくれ、という内容だった。

 そこで、番組のために作成した虎の巻と番組の様子を北陸に絞って書いておきたい。

 なお、中間報告なので、今後は変化していくと思う。


●「21世紀にのこしたい ふるさと日本のことば」

 いきなり研究室に電話がかかってきて、全国放送で、名古屋から放送して、名古屋にアナウンサーと、ゲストが一人、富山から僕が出て話をしてくれという。

 どうして、僕が?と聞いたら方言のホームページをいろいろ見ていて、僕のが一番面白かったという。バラエティに富んでいてすごくいい、というのだ。

 前にNHKが家までコメントを取りにきて、全く無視して放送をしたので、二度と引き受けるものか、と思っていたのだが、電話がかかると弱いもので、慌てて「はい!」と答えてしまった。

 1時間番組で生放送というので、少しびびったが、引き受けることにした。

 他でも書いているが、僕のラジオデビューは中学生の時で、テーマが方言だった。

 誰か名古屋で話を聞きたい人はいませんか、というので、「是、是非、清水義範さんをお願いします」といった。上原アナウンサーは清水さんのことをよく知らないみたいで、「いいですよ、じゃあ、話を付けておきましょう」などと安請け合いした。

 相手が清水義範さんだったら大変だ。僕のホームページ「笑説 越中語大辞典」は清水さんの『笑説 大名古屋弁辞典』のパクリ?なので、恥ずかしい。でも、一度、お話を聞きたかった。

 前前日にようやくFAXが届いて、相手はやっぱり清水さんにはならず、せめて弟さんでもと思ったが、「名古屋弁を全国に広める会評議員」(会長とか平とかいるのだろうか?)の服部勇次さんが出ることになった。

 NHKは「お国言葉」という言い方をしていたが、これは面白い。方言というと対象を突き放した感じがするが、「お国言葉」というと対象を包みこむような雰囲気がある。

 考えてみると20世紀の前半は方言をなくす方向が強かったために地方文化が衰退してきた。

 20世紀の後半はその反動で方言をなんとか残そう、記述しようという機運が高まった。国立国語研究所が作成した『日本言語地図』はその最たるもので一目瞭然と言語変化の波が見てとれる。ただ、これは1966-1975にかけて作られていて、当時80歳くらいの老人を対象にして記述したものである。今でいうと名古屋のきんさん、ぎんさんの人たちで、明治初期の言語生活を反映している人のものである。

 NHKも1952年から20年近くにわたって『全国方言資料』を集めている。こちらはソノシート付きだったが、最近ではCD-ROM(日本放送協会出版)となって売られている。

 どちらの資料も、今の人が見てたら、知らない言葉だらけになっている。

 NHKが「21世紀に残したいお国言葉」という企画を始めたのはとてもいいことだ。

 20世紀の前半が撲滅、後半が記述、21世紀が方言を楽しむ時代になるということである。

 先日も子どもの小学校の学芸会での話に方言を使っていたので驚いた。ちょっと前だと、共通語を使わせていたところだ。

 上原アナウンサーには「NHKが撲滅した方言を復活させようというのは罪滅ぼしだ」とはいわないと約束する。

 井上ひさしと平田オリザの対談集『話し言葉の日本語』(小学館)には井上がNHKの『青年の主張』の構成作家になった時、訛っていてもいいじゃないか、問題は内容が心を打つか打たないかであると、大人の主張をしたら、皇太子が出席されるのだからという、よくわからない理由で却下された話が出てくる。そして、30年後にNHKで『國吾雁元年』を書いた時に、8つも方言が出てくる話だから企画の段階でポシャるだろうと思っていたのに、NHKはなぜ、そんなことを作者が気にするのかわからないという雰囲気だったという。井上は「つまりそのときには、あんなに強かった標準語をつくるという意志が、三十年のあいだに、なくなってしまったんですね」と語っている。

 しかし、安請け合いしたものの困ってしまった。

 中部方言というのは一つにまとめることができない。どころか、東西方言境界がど真ん中に走っている地域だ。ちょうどフォッサマグナが東西に分断している形になる。正確にいえば、アルプスは交通の要衝としてそびえ立っていたのである。富山方言は関西方言の北限として存在する。北限というとかっこいいが、どんづまりともいえる。

 しかも、中部というのが曖昧である。NHKの中部というと新潟を入れずに、三重まで入るのである。たまたま、津放送局に異動してテレビにときどき出てくる女性記者を知っていたから三重まで入ることが分かっていたが、三重というと富山の人からすれば近畿である。

 そんなことで、中部で話をまとめるのは大変だなぁと思う。

 県民性との関係である。

 「言葉は文化の乗り物」なので県民性の絡みを考えるのは面白い。

 しかし、これも非常に曖昧である。

 方言を追求していくと「個人語」idiolectになってしまうのと同様、国民性や県民性を追求していくと「個性」personalityになってしまう。

 限界があるが、そんなことよりも方言にまつわる話をすればいいと思い始めた。

 今回、21世紀に残したいお国言葉というのは、従来の方言復活の流れの中でも、ユニーク。

 どの日本人も方言でとまどったことはあるはずだ。これを「恥」だと思うか、面白いと思うかで人生が違ってくる。

 外国語の上達法は恥を恥だと思わないこと。外国語を一つ学んでいると考えればいい。大切なことは「バイリンガル」になったつもりで方言を楽しむことである。東京の人には、故郷からの電話に出たとたん方言に戻るなんて気持ちはきっと分からないと思うし、そんな芸当はできないと思う。もっといえば、「文化を二つもっている」ことになる。


●中間発表「21世紀にのこしたい ふるさと日本のことば」(NHK調査)

 前前日に送られてきたFAXを見て、僕はフリーズしてしまった。

 ベスト5は次のようなのだ。

 僕自身が方言コンプレックスを持ってはいけないし、どの言葉も平等なのだが、富山の言葉はあまりにも自虐的で、意味もあまりいいものではない。「おやすんなはんせ」にいたっては聞いたことがない。

結局わかったことはアンケートに答える人がまだまだ少ないために偏ってしまっていることだった。

 僕自身、NHKのアンケートのホームページに行って、「みゃーらくもん」という言葉を登録したら、そのままベスト5に載ってしまった。つまり、一人か二人くらいしか答えてないようなのだ。

 そこで、上原アナウンサーとは事前に次のような話をした。

●21世紀に残したいお国言葉の条件

 例えば、「だら」という言葉があって北陸共通だが、「馬鹿」という意味で地域の人に残したいと受け入れられる言葉ではない。「だちゃかん」という言葉もいいのだけれど、語感もよくない。これに対して「きときと」などは「新鮮で取れたての」という意味で、他の地方になく、代用もしにくく、語感も重複していていいし、「きときとの嫁はんやね」などというとコミュニケーションが円滑になり、お互いが気持ちよくなる語である。

 そんな言葉を残さなければならない。

●お国言葉を愛するとはどういうことか?

 お国言葉を本当に愛するというのはどういうことか。

 魚津出身の女優・室井滋が富山の言葉を使ってエッセー集の2作目のタイトルにしている。

 その名前も『キトキトの魚』(マガジンハウス1993)。

 この本の「はじめに」で次のように書いている。あまりにも上手なので全文掲載させてもらう。

 私の田舎、富山の言葉で“キトキト”というのがあります。

 キトキトは、キョトキョトじゃあないし、キビキビでもなく、ギンギンやギトギトとも違う言葉です。

 田舎の人は、たとえば元気に走り回っている子供を見て、

「本当にキトキトの子やわ」

 と言ったり、なかなか寝つかない子供を見て、

「まあこの子、キトキトの目しとる」

 と言ったりします。

 また、キトキトは子供以外の大人や生き物にもよく使い、町内会の運動会で妙に張り切っているおじいちゃんを見て、

「どうされたんやろう、室井さん家(ち)のお父さん今日はキトキトになってるね」

 なんて言ったり、魚屋さんへ行って、

「キトキトの魚、ちょうだいよ」

 と、注文したりするのです。

 キトキトは、やけに元気で、それでいてけなげ、異様に張り切っていて、ピチピチと生きがいい状態のことを言うのですが、かといってそれは、たとえばハッチャキのような派手な言葉ではありません。

 そう……どちらかというと、普段とても地味なものが、このうえもなくイキイキしている様子というか、地味なものがけなげに頑張っているカンジ……そう、そういう言葉なんです。

 私はこのこの“キトキト”にとても憧れているので、私自身も、そして私のこの本も、とびきりの“キトキトの魚”みたいになりたいなあ、という気持ちで書きました。

 室井滋


●放送

 名古屋からは横山アナウンサーが司会をしてくれて放送が始まった。富山では斉藤寿朗(さいとう ひさあき)アナウンサーがスイッチを入れたり、切ったりしてくれた。

 最初は富山から始まって僕が解説をした。簡単に書いておく。

 

 この後、名古屋などでの「やっとかめー」(どれだけ長く伸ばすかによって久しぶり度が違うのだという)など中部各県のベスト5が紹介されて、ときどき、僕が呼ばれてコメントをした。簡単に方言周圏論を紹介しておよそ1キロで言葉は動く、という説を紹介して、面白いとアナウンサーに言われたのだが、定説とはいえないので、少し心配だった【2003年になってから井上史雄のその名も『日本語は年速一キロで動く』講談社現代新書が出版されたので安堵した】。

 最後のコメントは時間がなくなってきたので、「アンケートの数がまだまだ少なくて、現在の言葉が代表的とは思えません。もっといいお国言葉がいっぱいあるはずです。どうか、みなさん、もっと投票してみてください」などとNHKの回し者のようなことを言って終わった。

●僕が富山で残したいと思うお国言葉

 あまりにも「残したい」とは思わない言葉が多いので僕自身の考えを書いておく。他にも思い出すこともあるだろうが…。

●真田信治『都道府県別気持ちが伝わる名方言141』(講談社+α新書)であげてある富山方言(富山だけではないので、僕は納得できない)

 1 キトキト(新鮮なこと、元気な様子)
 2 ナーン(いいえ)
 3 ダラ(馬鹿)


●インターネットと方言(番外で話がここまで及ばず)

方言ホームページ数(1999年10月現在)中部全体=54

 いろいろな人が方言のホームページを作り始めている。スタイルはいろいろで非常に簡単なものから、音声が出るもの、学術的なものまでさまざまだ。

 今までのメディアと違って、ほとんどお金をかけずに自分の町の方言を紹介できるので、これからますます増えていくと思う。

 反応が早くて、面白い。

 そして、何よりも「検索エンジン」というのがあって、どんな形を書いてもちゃんと調べることができるので、日本中で大きな大きな方言辞典を作っていることになる。

 それは『日本言語地図』が作られた時とまったく別の、新しい方言地図になるはずである。

 学校でのホームページ作り(23校)に取り入れてほしいし、どんどん増えていくことだろう。


●放送の反響

 「ラジオ拝聴いたしました。想像通り、ダンディな声で、一瞬、野坂昭如かと思いました(笑)それにしても各地の方言比較って興味深いですね・・・都を中心に年間1kmの速度で広がっている、という話も面白かった。…お気の毒に(笑)」

 と、どうやら彼は「ありがとう」の意味の「気の毒な」を間違えて「気の毒に」と書いたらしいのである。

 「気の毒に」と書かれたら、何だか本当に惨めな気持ちがしてきた。

【99年10月8日初掲】


■NHK「21世紀にのこしたい ふるさと日本のことば」

結局、最終的に残った21世紀に残したい言葉は次のとおり。北陸は共通していることがよく分かる。

富山
きのどくな(ありがとう) いくそった(驚いた)
まいどはや(毎度ありがとう) まめなけ(お元気ですか)
ねまる(坐る) なーん(いいえ)
きときと(新鮮) うい(「腹うい」は満腹で苦しい)
つかえん(差し支えない) 〜れ、〜られ(相手を優しく促す)

石川
♪〜まっし(〜してみなさいね) いいがに(いい様に、適当に)
きのどくな(ありがとう) なーもなーも(謝辞への返答)
おんぼらぁと(ゆっくり) ちきない(疲れた)
だちゃかん(ダメだ) えとしげに(体をいとって下さい)
にゃあにゃあ(若い娘) ねんね(赤ちゃん)

福井
ほやほや(そうだそうだ) てきない(疲れた)
けなるい(羨ましい) うらら(私・私たち)
だんね(気にするな) かたいけんの(元気ですか?)
おちょきん(正座) つるつるいっぱい(目一杯)
じゃみじゃみ(テレビの写りが悪い状態) きのどくな(ありがとう)


その後富山でも方言を残そうという機運が高まり、地方の方言研究タレントが県内の珍しい方言を取り上げる番組がケーブルテレビやNHKの合同企画で放送された。その地方の人でさえ知らなくなったような方言を取り上げて、誤解をめぐるドラマに仕上げていたが、方言コンプレックスのない僕でさえ何だか恥ずかしくなった。

 山口幸洋が「方言の危機と方言学」(日本方言研究会編『21世紀の方言学』国書刊行会2002)で次のように書いている。

 NHKのテレビ番組「ふるさと、日本のことば」も、その陰に視聴率優先の姿勢がある以上、興味本位に走らざるをえないので、「方言を大切に」という建て前との矛盾は避けられない。方言はそれが少数派の特異な言葉そのものが見せ物的になることで、一種の誉め殺しのようなものを受け、保存を奨励するなど人為が加わった方言は、一方では差別をもたらし、その価値を貶めるものになる。地方では喜んだとしても、これまでの経験からすると、方言の退潮に拍車が掛かるだけである。地方人自身が「これは方言、笑われる」と気づくことから方言の使用が慎まれるからなので、元々矛盾している。

 その企画に際してNHKは「これまで方言をなくしてきた罪滅ぼしに」と言ったけれど、方言の減少はテレビに身を委ねるようになった時代の流れなので、NHKひとりのせいではない。行政が今でも全国のどこかでテレビ・マスコミ受けを狙った、「方言を使いましょう、残しましょう」調のスローガンを掲げるのは、逆効果の方が多いと思う(すなわち、それで方言はいよいよ使われなくる)。無責任なマスコミは、そんなことは意に介さない。人は喜んでいるように見えて、実は面白がっているに過ぎない。それでも地方人は一度は有名になりたいという願望から方言を売り物のようにするのであるが、すべてテレビ支配に左右される世の中のせいである。静岡県の例で言うと、静岡の「ソーズラ(そうだろう)」、浜松の「ヤラマイカ(やろう)」は、それでいっそう、生きた会話の場で逆に使われないようになった。昔、「のど自慢」の番組で司会者がサービスのつもりで方言を口にしたのを機に、地元ではその方言が意識されて使われなくなったという話があったが、津々浦々まで浸透しているテレビはそんなとき、その方の罪が大きい。


 


IMAGE  IMAGE  IMAGE  please send mail.