『アラバマ物語』前説……映画と差別
2003年6月12日にアメリカを代表する俳優、グレゴリー・ペックが亡くなった。米ロサンゼルスの自宅で死去、87歳だった。老衰とみられる。米カリフォルニア州出身。「アラバマ物語」(1962年)でアカデミー主演男優賞を受けている。俳優組合の会長職を務め、役者の地位向上のために長く働いた。また、1千冊を超える蔵書をもっているリンカーンの研究者としても知られていた。
どの新聞もオードリー・ヘプバーンと共演した『ローマの休日』(1952年)が代表作だとしているが、アメリカ人にとって代表作は『アラバマ物語』なのだ。
トム・クルーズが主演した『バニラ・スカイ』ではアメリカの20世紀を回顧するシーンがあるのだが、『アラバマ物語』が古き良き時代のアメリカを象徴した映画として出てくる。実際、ペックはリベラルな活動家でもあり、「核軍縮は私の人生で最も重要な関心事だ」「私はあらゆる差別に反対だ」などの言葉を残している。ニクソン政権では、ブラックリストに名前を挙げられていたという。
「立っているだけ」と悪口をいわれたものだが、立っているだけで演技できる方がエライに決まっている。つまり、アメリカの笠智衆だったのだ。
奇しくも2003年6月4日、米国映画協会が過去100年の映画ヒーロー・ベスト50を発表し、2位「レイダース―失われたアーク(聖櫃)」のインディ・ジョーンズや3位の007シリーズのジェームズ・ボンドなどをおさえ、フィンチ弁護士がトップに選ばれていた。
引退後は映画鑑賞や読書を楽しんでいたが、近年お気に入りだったのは周防正行監督の「Shall We ダンス?」で、「優れた映画制作の好例だ」と激賞していたという。
2度結婚して5人の子どもをもうけ、孫も6人いた。最期は2人目の妻の元フランス人記者、ベロニクさんにみとられて静かに息を引き取ったという。
オマージュとして昔、前説したのを復刻してみる。
オーメン、じゃなくて、アーメン!
廉価版もいっぱい出ています!
STAFF
監 督 :ロバート・マリガン
製 作 :アラン・J・パクラ
原 作 :ハーパー・リー
脚 本 :ホートン・フート
音 楽 :エルマー・バーンスタインCAST
アティカス :グレゴリー・ペック
スカウト :メアリー・バダム
ジェム :フィリップ・アルフォード
ブー :ロバート・デュバル
こんにちは、金川です。今日お贈りするのは『アラバマ物語』です。原作はこちらです(とこれみよがしに見せる)。“To Kill a Mocking Bird”つまり、「ものまねどり、ものまねつぐみを殺すこと」で「ものまねどりを殺すことは罪」という話から取られたタイトルです。英語の“mock”というのは「まねる」という意味で、パティ・ペイジの「モッキンバード・ヒル」という曲でご存じの方も多いはずですね。タイトルについては映画をごらんになれば分かりますので、説明しません。
このハーパー・リーの原作は1961年に発表され、翌年にはピュリツァー賞を受賞し、聖書の次によく読まれた本と言われたほど知名度の高い作品です。日本でも暮しの手帖社から翻訳が出ていましたから読まれた方もいるかもしれません。『アラバマ物語』となっているので、子ども向きの物語だと思う人がいるかもしれませんが、ごらんになればよく分かるように子ども向きの映画ではありません。「レイプ」という言葉が使われていますし、人間の欲望の深さを考えるととても子どもに見せることはできないような作品です。
この作品を劇作家H・フートが脚色してオスカーを受賞しました。後にナタリー・ウッドが出た『サンセット物語』や『レッド・ムーン』などの社会派ドラマを多く手掛ける製作アラン・J・パクラと監督ロバート・マリガンのコンビが映画化した問題作です。ロバート・マリガン監督は僕が大好きな映画でジェニファー・オニールが出た1971年の『おもいでの夏』ですが、叙情豊かに回顧する映画が得意な人です。同じコンビで撮った『マンハッタン物語』というのも、ナタリー・ウッドが主演しているというだけで大好きな作品です。
不況の風吹く1932年、南部のアラバマ州モンローヴィルです。幼い息子と娘を抱える弁護士アティカス・フィンチに、暴行事件で訴えられた黒人トムの弁護の任が下ります。ですが、偏見の根強い町の人々は黒人側に付いたアティカスに冷たく当たってきます。
映画はアティカスの子供たちを通して、父親の苦難や町の横暴を極めて客観的に描く事に成功しており、問題意識を振りかざさず、しんみりと心に染み入らせるものになっています。
どうして『アラバマ物語』というタイトルになったかといえば、舞台がアラバマ州だからですが、アラバマ州というのはディープ・サウス、つまり黒人差別の強い南部の州です。解放宣言以降も南部諸州は、通称ジム・クロウ法を維持していました。これは有色人種に対して、白人との結婚や選挙権、バスやレストランでの同席などを制限する実質人種差別維持法だったのです。1964年の公民権法の成立まで、実際は奴隷解放宣言の後百年にわたり、法律上も人種差別が行われてきたのです。
この映画はまさに黒人問題、黒人差別を扱っています。アラバマを有名にしたのは州都モンゴメリーで市営バスの差別的座席制に抗議して始まった非暴力によるバス・ボイコット運動です。この運動を指揮したのがマーティン・ルーサー・キング・ジュニア 、キング牧師でした。彼はジョージア州アトランタ生まれでしたが、どちらも差別のひどい南部です。これを発端に、人種差別への抗議運動が起き、ローザ・パークスも公民権運動の母と知られるようになりました。
アラバマ州では映画の原型ともいうべき事件が1931年にありました。いわゆる「スコッツボロ事件」です。この事件はアラバマ州で貨物列車に乗っていた13から20歳までの黒人9人が逮捕された事件です。同乗していた白人が彼らに列車から放り出されたといい、さらに2人の白人女性がレイプされたと訴えたのです。若者たちは怒った白人たちに囲まれて民兵の警護の下で白人だけの陪審員によって公判を受けたのですが、最年少の黒人以外は全員有罪で死刑を宣告されました。
上告したのですが、州の最高裁も原判決を指示しました。医学的証拠からもおかしく、白人女性は売春の罪を逃れるためにウソをついたのだと今では考えられていますが、4人が仮釈放で出獄できたのは1948年から1960年の間だったといわれています。
黒人歌手のビリー・ホリディの名曲に、というか伝記映画のタイトルにもなっている『奇妙な果実』というのがあります。「南部の木々には奇妙な果実が成る/葉には血が、根本にも血が滴る/南部のそよ風に黒い体が揺れる/ポプラの木に奇妙な吊り下がっている」と歌われています。これって白人の黒人へのリンチを歌った曲で、初演された時にはしばらく拍手もなかったといわれています。
Southern trees bear a strange fruit
Blood on the leaves and blood at the root
Black bodies swingin' in the Southern breeze
Strange fruit hangin' from the poplar treesPastoral scene of the gallant South
The bulging eyes and the twisted mouth
Scent of magnolia, sweet and fresh
Then the sudden smell of burning fleshHere is the fruit for the crows to pluck
For the rain to gather, for the wind to suck
For the sun to rot, for the tree to drop
Here is a strange and bitter cropホリディ自身、15歳の時、レイプされたことで人生を大きく狂わせ、この映画に描かれているように麻薬との戦いでした。
黒人は他にもスポーツで活躍しているじゃないかという人もいるかもしれませんが、ごくごく最近のことです。メジャーリーグの新人賞はジャッキー・ロビンソン賞ともいいますが、このロビンソンは米大リーグ初の黒人選手でした。人種差別激しいころで、彼と契約を結んだドジャースの総支配人にとっても大胆な賭けでした。そこで支配人は「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない」「仕返しをしない勇気を持つんだ」と言って、右ほおを殴ったそうです。ロビンソンは「ほおはもう一つあります」と答えたといいます(藤澤文洋『メジャーリーグ・スーパースター名鑑』研究社)。まるでキリストの話を思い出しますが、逆にキリスト教を強調することで、ピューリタンの国にとけ込もうとしたのだと思います。 47年がドジャースでの最初のシーズンになったのですが、南部出身の同僚選手から同じロッカールームに入れないでくれと苦情が出たり、相手投手から危険球を投げられたり、観客からはブーイングが飛んだりしたそうです。脅迫状も届いたといいますが、実際の彼の素晴らしいプレーに多くの人は魅せられて「雑音」は消えていったのです。
スポーツはアメリカの夢を体現しているといいながら、黒人の水泳選手はいませんし、ゴルフプレイヤーもいません【後にタイガー・ウッズが出てくるが、複雑な人種構成に生まれている】。まだまだ差別はあると思います。
□ さて、ご存じの方も多いと思いますが、アメリカ映画の始まりはとても不幸なところから始まっています。アメリカ映画が映画としての地位を築いたのはグリフィス監督の『国民の創生』だったのですが、これは大ヒットしました。ただ、KKK、つまり、ク・クルックス・クランという、黒人差別の秘密結社を描いたところに時代の制約を感じるのです。「黒人にアメリカを渡すな」というのが彼らの主張で、正義の味方のように活躍します。グリフィスはこの映画で大儲けをして、次に作ったのが『イントレランス』という、人間の不寛容がどれだけの罪悪をもたらしたか、という映画でした。一大スペクタクルだったのですが、ヒットせず、『国民の創生』で築き上げた財産を全て失ったといわれました。そんなこともあって、黒人作家のジェームズ・ボールドウィンは『悪魔が映画をつくった』(山田宏一訳・時事通信社) という本を出しています。
アトランタ【個人的には宝塚の『アトランタ』という曲が頭から離れない!】を舞台にした、マーガレット・ミッチェルの『風とともに去りぬ』は古き良き南部を讃えていて、黒人への差別を助長するという面もありました。だから、といってはいけないのですが、記念館であるマーガレット・ミッチェルハウスは3度も放火されました【1996年のアトランタ五輪では選手村のビデオリストから『風とともに去りぬ』が除外された】。
その後、いわゆる「黒人映画」がいくつも作られました。最近では『野のユリ』『手錠のまゝの脱獄』『招かれざる客』から『夜の大捜査線』などのシドニー・ポワチエの映画から、最近では『ミシシッピ・バーニング』があります。ボールドウィンは『招かれざる客』は全く意味が分からなかった、と書いています。つまり、ポワチエが黒人であっても、弁護士というエリートではなかったらどう反応しただろう、というのです。
でも、歴史を振り返ると少しずつ「進歩」しているように思えます。
どれも今から見ると甘いのですが、時代というものはそんなに進んでいなかったと考えてもらった方がいいと思います。安全な場所に立って、危険な目に遭っている人のアドバイスをするようなことは避けたいと思います。でも、徐々に黒人のアメリカ映画に占める地位が上がってきているように思えます。今は黒人の出ない映画など考えられません。
キング牧師が生まれたのはアカデミー賞創設の翌年でした。63年、ワシントンでキング牧師は訴えましたね。「私には夢がある。いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが皮膚の色によってではなく、人となりそのものによって人間的評価がされる国に生きるときがくるであろう」。「私には夢がある。いつの日か、この国は立ちあがり、『われわれは、自明の真理として、すべての人は平等につくられ……』というこの国の信条の真意に生きぬくときがくるであろう」。名高い「ワシントン大行進」での演説ですが、今でも水泳やテニスなどに黒人が少ないことは差別と関係があるのではないかと疑ってしまいます。キング牧師は1968年4月4日、テネシー州メンフィスの清掃労働者のストライキ支援中に志なかばにして暗殺されました。83年にはその業績を記念して彼の誕生日(1月15日)にちなみ、1月の第3月曜日が国民祝日と定められています。これをアメリカ人は偉い!と考えるか、おためごかしと見るかはご自由ですが…。
さて、この映画では非難を受けてなお、ひとりの弁護士として、黒人の無実を証明してみせるために全力を注ごうとするアティカスの姿に感動させられます。その黒人を訴えたボブ・ユーイルに代表されるような、無学で粗暴な人間の対極に位置するという意味で、理性と無知との戦いを象徴するものです。そして言うまでもないことですが、その間には善も悪もありません。ただひとつ、人間としての「良心」の問題があるだけなのです。
おまえも、ジェムもつらいだろう。しかしね、人間はどんなにつらくても全力をつくしてやらなければならないことがあるんだよ――【…】――トム・ロビンソンの事件はね、人間の良心の問題なのだ――スカウト、彼をたすけなければ、私はもう教会へいって神さまのまえに出られないんだ。
ここに描かれたアティカスの姿というのはアメリカの父親の原型だといえます。こんな立派な父親ばかりでないことは、映画の中に出てくる人々によってよく分かるのですが、この映画を見ることでアメリカ人は自分たちはこんなに立派なんだと安心するようなところがあります。「うのぼれ鏡としての映画」ということがよく分かります。
僕は「アメリカ映画における母親の不在」という論文でアメリカ映画は父性愛を中心に描かれているということを書きましたが、ここでも母親は出てきません。病気で既に亡くなっているのです。男やもめで、良心的な弁護士としてもきちんと仕事をする、というのはアメリカの一つの理想です。
誠実なキャラクターが売りのグレゴリー・ペックはこの映画で主演男優賞をもらいました。撮影前にハーパー・リーの父親アマサ・コールマン・リーに会ってアマサの勇敢かつ知的で礼儀正しい人柄に触発されて、アティカスを正義感にあふれる父親の鑑ともいえる頼もしいキャラクターとして演じたのですから、当然のことだったと思います。何があっても動じない、自分の信念を守って静かに仕事を遂行していく男というのは実にかっこいいものです。アメリカの良心だとよく言われました。
もちろん、これがアメリカ人の総てと思うのは早計ですが…。
アメリカの裁判制度で少し分かりにくいことがあります。ひとつは陪審員制度で、これは『十二人の怒れる男たち』で描かれているように、一般市民が評決を行うものです。もうひとつ、アメリカの裁判は必ずしも真実を追究しない、つまり、“plea bargain”ということがありますが、司法取り引きをよく行います。最後にもしかしたら、こんなことでいいのか、と思う日本人がいるかもしれませんが、アメリカ人は裁判というものをこんな風に考えているという典型かもしれません。
1962年の作品ですからもうカラーの時代になっているのですが、白黒の画面がドキュメンタリーのように淡々と描いていて冴えています。白黒だとこんなにも画面に深みが出てくるのかと驚きます。
そうそう、黒人たちは2階で裁判を傍聴していますが、差別があって1階の傍聴席に黒人は入れなかったのです。その黒人たちの額に汗が流れていますが、弁護するアティカスはきちんと背広を着ています。その辺りの緊張感もすごいと思います。
アティカス二人の子どもスカウトとジェムもアメリカの子どもの典型(本当はどうか知りませんが)をごく自然に演じています。余談ですが、ジェムのクラス・メイトで色白でひよわな男の子ディルは原作者のハーパー・リーが子どもの頃からの友人だった小説家のトルーマン・カポーティをモデルにしています。原作者のハーパー・リーにいつもやりこめられています。カポーティって『冷血』の、というかみなさんは『ティファニーで朝食を』の原作者としてご存じですね。『冷血』を取材した時には事件のあったカンザス州の町ではカポーティがゲイだったから入りにくかったということがあります。その時に、ハーパー・リーに付き添ってもらったということがありました【これについては『カポーティ』に描かれているとおり】。カポーティの『遠い声 遠い部屋』では逆にリーがアイダベルのモデルとなっています。
子どもたちと不思議な縁を持つのが、近所に住む精神異常者ブーです【当時は「引きこもり」という言葉はなかった】。後に『ゴッド・ファーザー』シリーズ等でスターとなる前のロバート・デュバルが演じています。まだ髪の毛がふさふさしています。この男と子供たちの関係も大変面白く描かれています。このエピソードが物語の終息で融合し、映画に深い余韻を持たせていると思います。他の裁判映画とは一線を画しているところだと思います。
みんなおなじなら、どうしてばらばらになって、おたがいがさげすみあうんだろうね。ね、スカウト、ぼくはわかりかけてきたようにおもうんだ。なぜブー・ラッドリーが、ずっと家にとじこもっているのか、わかりはじめたようにおもうよ。……それはね、ブーのほうで、家の中でジッとしていたいからなんだ。
白人が黒人を差別する、あるいは正常な人が異常者を差別するということの多くが、相手に落ち度があったり、問題があるのではなくて、差別する側の問題、恐怖だと思います。その根源の多くはコンプレックスや精神の貧困だったりします。人間というのは不安の生き物だと思います。コミュニケーションがなかなかできない時にも人は不安になります。軍拡をお互いに止めよう、といっても相手より少しだけ軍備が上回っていないと安心して眠れません。自分が核兵器を持っていても、相手が持っているのは許せない、と思うのが、人間の勝手さかもしれません。「話せば分かる」というほど世界は単純ではないのですが、話す前に恐怖で相手を倒してしまうのが人間かもしれません。だからといって、一見「不気味」な相手を殺していいということにはならないと思います。
変な感想ですが、これで解説を終わらせてもらいますが、そんな解説なんか要らないという人もいるかもしれません。
でも、この映画を見終わったら、「ものまねどり」というのも、いてもいいのだ、という気になってもらえるかもしれません。
どうもありがとうございました。
【1987年1月17日 富山市民大学 富山市公会堂別館にて】
黒人映画というジャンルすら、感じることがないようになってきていたのだが、2002年に『チョコレート』を見て、何も理解できなかった。ハル・ベリーはこの映画で「黒人」初のアカデミー主演女優賞を取ったのだが、この映画の「人種偏見」のステレオタイプに驚くし、ハル・べりーほど「魅力的」だったら、誰だってセックスして一緒に暮らしたいと思うだろう。中には最初、後背位で、正常位となり、女性上位になったことからこの映画の意図を汲み取ろうという人もいたが、白人の庇護の元に、かわいそうな黒人が救われる、という構図には何ら新しいものはない!
それに、ハル・ベリーが「白人と黒人の間に生まれた黒人」と書かれているのも理解できなかった。一度、「黒人」の血が混ざると永遠に「黒人」なのか。マーロン・ブランド、ケヴィン・コスナーなどインディアンとの混血だが、「インディアン」とは言わない。どうしてハル・べりーが「白人と黒人の間に生まれた白人」ではないのか?
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